風がそよぐ。 そっと耳を澄ます。 カサッ...カサカサッ...カササッ... まだ少し夏の色を残した空を見上げると 暑い暑い季節を謳歌した後の木の葉たちが、宙にゆらゆらと泳ぎながら ゆっくり、のんびり 地面に積もりゆく姿が目に映ります。 あたりには夏の始めから咲き続けているガウラの白やピンクの花びらが 風が吹く度に、まるでダンスをするように揺れ その向こうでは深い青紫のサルビア・ガラニチカがシュッと背を伸ばす。 少々好き勝手に成長しているそんな夏の花々の上に降り注ぐ、微かな、そして乾いた音色たち。 カサッカサッ...カササッ... 秋の始まりが降り注ぎます。 晩夏の中に舞う初秋の色彩。 眩しくて厳しい夏が終わり、大好きな季節がすぐそこまで来ている予感。 過ぎて行く季節と、やって来る季節の合間のひととき。 そう、秋は、いつもこの音から始まります。 新しい音は新たな季節を呼び、そして新しい色彩を誕生させて行く。 季節と季節の間の瞬間は、心もふわふわして不思議な感覚です。 そんなある日の事。 舞い込んだ1通のお手紙が、美しい音の祭典へと私をいざなってくださいました。 ピアノのコンチェルト。本当に久し振りです。 コロコロと愛車を走らせ、鹿やアナグマの歩く山を降りる道のり。 心と体が、だんだんと軽やかに変化して行くのがわかります。 都内に到着し、静かな山の緑に慣れて過ぎている私の瞳には少々衝撃的過ぎるほどの雑踏迷路を抜けると ミュージックホールの空間が、ゆったりと優しく、私を包み込みます。 集まる人々が着席する様々な音が、少しずつそしてゆっくりと静寂にのまれてゆき そこから始まるベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リストの曲の数々。 激しく強い音、滑らかで潤しい音、はずむ軽やかなリズム。 たった1台の楽器が、こんなにも様々な世界を生み出せるなんて! そして...夜が深まり訪れる音。 大好きなドビュッシーが流れ始めます。 ピアノの漆黒が濃厚な青へと移り行き、その場所を麗しい風景へと変えてゆく。 瞳を閉じると私を包み込む、月の光。 風の行く音。水の流れ。 時にはあたたかく、時には少しひんやりと、手のひらに漂う微かなそしてやわらかな光たち。 奏でられる音の一粒一粒が、ホールの大気を変化させてゆくのを感じました。 見上げると、灯りを落としたホールのシャンデリアのクリスタルですら、月夜の星の輝きに見える。 あんなにも人の多い大きな街で、背の高いビルに囲まれながらも 私はそこでひとり静かに、豊かな自然に囲まれた不思議な月夜を楽しんでまいりました。 そして手元には、演奏中にふと書き留めた言葉がひとつ。 "Suoni che restano nell'Anima" 魂に残る音。 あのピアノから生み出された音たちの残した色彩が、今でも胸の奥に生きています。 そして絵筆を動かす、秋のはじまりです。 アトリエの庭では、ちいさな筆をふんわりと広げたような爽やかな薄青紫の花・西洋フジバカマが花を開いています。 寒くなると地上部がすっかり枯れて姿を消すこの花が、緑に映える姿を見ると あぁ今年もこの季節がやって来たんだなと実感します。 そして思うのです。 秋の七草に数えられるフジバカマ。でも「西洋」という2文字が付くだけで随分と印象が変わるなぁと。 この西洋フジバカマはどちらかというとカッコウアザミの方にそっくりで お花屋さんなどで出会う度に「ん?これはどっちだろう??」と一瞬考えてしまいます。 そして西洋の呼び名も合わせると、混乱はますます増えてゆくばかり。 アゲラタム(カッコウアザミ)か、ユーパトリウム(西洋フジバカマ)か。良い頭の体操になっております。 ...カサッ...カサカサッ...カササササッ... 微かな音たちと共に、大好きな季節がやって来る。 遠くの方で、鹿もこっちを見つめながら微笑んでいるようです。 しなやかに美しい四つ足で、日々新たな音色の生まれる大地をしっかりと踏みしめながら。 2025年9月28日 やわらかな季節の合間の、アトリエの庭より。 高野倉さかえ