「何故これほどまでに違う2つの花を混同していたのだろう?」 今になってみると、そう思います。 両方とも「蓮」という字がついていたせいか それとも共に水生植物だからなのか はたまた身近にその花の生息地がなかったせいなのか ちいさい頃の私は、蓮と睡蓮をかなり混同しておりました。 名前の響きと言う点で「ハス」よりも「スイレン」の方が好きだったという事もあり その呼び方はもちろん、頭の中は基本的に「睡蓮」が主流になっていて よくあった間違いは蓮をついつい睡蓮と呼んでしまう事。 睡蓮を蓮と呼ぶことはほとんどなかったのですが 蓮に関しては「大きい睡蓮」と言う認識で呼んでいたように思います。 そして待つこと数年。いや、数十年。 大人になり、最初にじっくりと実物を見たのは睡蓮の方の花です。 様々な色彩を放つ花々が、水面から細く華奢な茎を伸ばし 訪れたその夏の池に、幻想的な華やかさを与えていました。 その後も植物園などで出逢った水生植物は全て睡蓮。 そして美術館巡りをすると、壁面を飾るのはやはり睡蓮の花々です。 大きなキャンバスに描かれたその花の風景は、近くで見ると豪快な筆のタッチが流れ 遠くから見るとやわらかな色彩が空気を染めていました。 その感動を胸に、ふと、思ったのです。 「Water Lilies…睡蓮…そしてイタリア語ではNinfea。...あれ?Lotusの方は…?」 今ひとつイメージが湧きません。 湧かないと言うより、胸をよぎる形状は全て睡蓮のそれです。 その昔、我が家で「ハス」と発音する時、それは花の方ではなく根菜を意味していました。 ハスの煮付け…といった感じです。 「レンコン」と呼ぶより短くて言いやすかったのか、ハス=食べ物と言う脳になっていた私にとって 始めて出逢った実物の蓮の花はかなり衝撃的なものでした。 これほど大きな花だったなんて!! まずはその大きさと迫力に、唖然としました。 これほどまでに存在感のあるサイズの花は、私の周囲には今までなかなかなかったように思います。 そして思い出したのは、ある夏の日、トスカーナ郊外で出逢った巨大なcalciofiの花です。 イタリア語でcalciofiとはアーティチョーク(チョウセンアザミ)のことで 茹でて塩を振っても良し、揚げてもとても美味しく、酢漬けのピクルスのようにしても便利で パテにしてもパスタと混ぜても味わいがある、私も大好きな食材です。 しかしながら、それはいつも蕾の形でしか食卓に登場しなかったので 生まれて初めて、美しく開花したそのアーティチョークの花に出逢った時、驚愕しました。 大きいこと大きいこと!!! 蓮の花のそれも、やや、その時の感動に似ています。 そして…蓮の葉のこれまた大きい事! 睡蓮の持つ「水面に沿ってピタッと平たく広がる」と言う感じとは程遠い3D感があります。 そしてフリル状のカーブに揺れる形状の、あぁ、なんというやわらかさ。 睡蓮のようなシュッとした直線状の切れ目など全くありません。 その瞬間「水から咲き始める花=睡蓮」と思い込んでいた幼い頃の自分を思い出し なんだか妙な笑顔になってしまった、夏の日でございます。 興味が沸々と湧いてきて、その後もこの2つの花を調べ続けていると あぁ、私の他にも蓮と睡蓮の違いを質問する方がたくさんいらっしゃる! そう思うと、両者の花言葉もなるほどよく似た雰囲気です。 蓮の花→花言葉:清らかな心。神聖。 睡蓮→花言葉:清純な心。信頼。優しさ。 水の中から、しかも少し泥の残った水の中から美しく花開く。 そのイメージが、両者をこのような言葉たちで飾り立てるのでしょう。 そして驚いたのは…初めて聞くこの言葉です。 「発熱植物」 花が発熱をっ?! あまりの驚きに目が2倍になりました。(笑) 蓮は花の中心の花托と呼ばれる雄しべと雌しべを支えている部分が、なんと35度にもなるとの事で それによって芳香をより良く空気中に漂わせ、また昆虫などを誘って受粉に役立てるとか。 自然の力。素晴らしいです! 水の園の新しいイメージが広がってきました。 そして次回もしまた蓮の花と出逢う機会があったら、是非手のひらをかざして温度を感じてみたい、そう思う夏の日です。 2025年7月21日 青空が広がる、アトリエの庭より。 高野倉さかえ