この季節を迎えると、いつもやってくる香りがあります。 それは甘く、甘く、思わず目を瞑って酔いしれてしまう程に甘く 絵の具の香りが染み付いているアトリエの中でさえ、まるで別世界のような景色に染め上げます。 山を降りたある日ふと出逢った、白く美しい八重咲きのガーデニア。 その小さな鉢植えを庭に植えてからというもの、夏が大の苦手な私がこの季節を楽しみにするようにまでなりました。 しかもその成長っぷりは驚くべき速度で 夜中にトトロが踊りながら花壇の植物が育つ呪文を唱えているのではないかと、かなり本気で疑うほど。 たった一輪でも切り花にすると、持ち込んだ部屋のどこまでもが美しい香りに満たされ 花が終わった後もそのまま緑を楽しんでいると、みるみるうちに根が生えてくる。 水栽培で育った挿し木を、今度はまた庭へ。 その繰り返しをしているうちに、たったひとつの小さな鉢植えから どんどん、どんどん新しい苗が生まれてきます。 そうこうしているうちに、ある年、ふと振り返ると 通路が隠れてしまうほどにおおらかに伸びた艶やかな緑の茂みに覆われ 玄関先はすっかり、ちょっとしたガーデニアの森になろうとしていました。 いつもこの庭を訪れるキジ助さえも「う〜ん通りにくくなったなぁ。。」というような様子。 そろそろさすがに剪定して少しは形を整えないと!とは思うのですが そこには、数えきれないほどの蕾と花が既に出来上がっていて それをバッサリ切り戻す勇気は出てきません。 今日こそ剪定をしようと、ガーデニアの森の前に立つ度に 私はその美しさにすっかり魅了され、剪定バサミをしまうのです。 この時期に私のする作業は、一輪、二輪とアトリエ用の切り花を手に室内に戻るだけ。 そして持ち帰ったその花々は、アトリエ内をその隅々まで甘い香りに染め上げてくれます。 花が終わった後にすらいつまでも室内に残る、ガーデニアの余韻。 その香りから形を思い浮かべるとしたら それはどこまでも清らかで優しい、角のないカタチ。 触れるとその瞬間に深く癒されそうな、ベルベットのスムースさを思い起こさせます。 響き渡る無垢な白の香り。 甘いけれど、清々しく凛としていて汚れのない大気。 この季節はそんな香りの中で仕事をしています。 眩しい夏の光に照らされた窓の外の景色。 そしてその奥には、それとは真逆の雰囲気を持つ花・ガウラが 細い細い茎を空にそして自由な方向に向かって伸ばしながら これまた自由に、そして軽やかに咲き乱れています。 ぴょこん...ぴょこん...ビヨ〜ん。 木質化しながら艶やかな葉を増やすガーデニアはしっかりとした存在感で咲き誇り、言わば不動のイメージ。 一方、こちらガウラはと言うと、常に跳ねるように一日中動き続けている雰囲気です。 細長く伸びた茎の先に、白く、ところどころ微かに薄桃色を帯びた蝶々がたくさんとまっているかのような そんな姿で咲くガウラの花は、蜜を求めて訪れるちいさなハチたちの重さを支える事ができません。 ...ビヨヨヨ〜ん。 ハチが花につかまる度に、ぴょんぴょんと上下するガウラ。 それはまるで、空中を上へ下へとふわりふわりと舞いながら子供たちを楽しませる、遊園地によくあるあの遊具のような動きです。 小人たちの訪れるちいさなちいさなアミューズメントパーク。 遠くから眺めているとそんな妄想に苛まれ、いつの間にかクスッと笑ってしまう、そんな楽しい風景です。 微笑ましい動きが続く、ガウラの咲く場所。 ですがこの時期咲き乱れるガウラには、ひとつだけ困った事が。 飛び来る虫たちの重さだけではなく、開いた花の重量さえ支える事ができないほど細く細く伸びたガウラの茎は ちょっとした風や微かな雨にさえ耐えられず、気がつくとバッタリと倒れて地面の上を這っています。 そして翌日には部分的に空を目指して直角に曲がりながら育っている。 お天気が回復してから整頓しよう!などとと思っていても、その変化に間に合いません。 そんな事を繰り返しているうちに、そこはすっかり荒地のような咲きっぷりに早変わりしてしまうのです。 私の背丈ほどもある、いや、ほぼ2mに達するほどのものまで出て来る、この時期。 それらがキジ助の通り道をも塞ぐ勢いで地面を覆い始めると、毎年恒例の作業が始まります。 「おまとめシーズン」 こぼれ種で増えに増えた大量のガウラ畑に、これまた大量の支柱を立てて花々をまとめる季節が今年もまたやって来ました。 周囲の林を覆う竹や笹。 なるべく丈夫でしかも目障りな太さまでは育っていないちょうど良い細さの若い笹枝を選び、まずはたくさんの支柱を作ります。 そして既に足の踏み場のなくなってしまった花畑にそれらを刺しながら、麻紐や緑の針金でなんとか結びつけてはまとめてゆこうという作業です。 両手を大きく広げ、すでにかなり自由奔放に曲がりくねっている茎たちを折らないように、そして花を傷つけないように抱き抱えて起こす。 そして支柱にまとめようとする瞬間... ビヨ〜ン! 可憐なガウラ花たちは元気に跳ね上がり、私の手をすり抜けて行きます。 「あぁいけない。もう一度やり直し。」 少しでも綺麗なレイアウトでまとまるように気をつけながら抱え込み、支柱へ。 そして... ビヨヨヨ〜ン! 再び跳ね上がって逃げるガウラ。それをまた両手で捕まえにゆく私。 蝶々のように揺れる花々も、不器用な私を笑っているかのようです。 そしてそんな作業中にいつしか溢れているのでしょう。 成熟した種たちが今年も地面へと旅立って行き、来年はさらに大きなガウラ畑になろうと準備を始めているようです。 爽快な潤いの中でどっしりと地に足を踏み締めて咲く、純白な香りのガーデニアの「静」。 そして明るく軽やかで自由なダンスの耐えないガウラたちの「動」。 山のアトリエ・ガーデンの夏は、今年もワイルドに育っています。 2026年8月17日 透明な夏のアトリエより。 髙野倉さかえ